« 2009年4月 | トップページ | 2009年7月 »

2009.05.31

うつで外出できない時は

さて、前回に続いて怒りを表現する方法について書きたいのですが、
家の中で怒りを表現しようとしても、限界があります。
そこでまず、うつ病で体調が悪く、外出できない時にはどうしたら良いかを書きたいと思います。

うつの状態が悪いと全く外出できないことがあります。
精神科医はうつの状態の悪いときは、39度の熱がある時と同じだから寝ていなければならないと言います。
たしかに、うつがひどい時は、1m先のものを取るのが、1km先のものを取るのと同じように感じます。
寝ていて立ち上がって1m上のものを取ろうとすると、1000m登って取るのと同じぐらいつらいです。

でも、通院の時などは、そうも言っていられません。
やはり、薬を飲まないと危険であるという状態もあります。
では、そのような時はどうすればいいでしょうか。

外出しなければならないのに、うつがひどい時、うつ病患者の心の中はどうなっているのでしょうか。
僕はそんな時の自分の心の状態がどうなっているか、じっくり観察してみたことがあります。
まず、今日病院まで行けるかが、ものすごく不安な状態です。
僕がいつも思っていたことは、
「途中で気分が悪くなるのではないか?
 気分が悪くなって休んでいると、診察時間に間に合わなくなるのではないか?
 途中で帰って来なければならなくなるんではないか?
 以前に行けなくなって帰って来たことがあった。
 今日は帰ろうとしても、帰れなくなるのではないか?
 こんなに具合が悪いのに、さらに外で何時間もにっちもさっちもいかなくなったら、病気が最悪の状態になるのではないか?
 それよりも、明日別の医者に診察してもらった方がいいのではないか?
 でも、主治医ではない医者は薬の変更ができない。
 僕は今日、薬を変えてもらいたいんだ。
 でも、今の状態はとても病院までいける状態ではない。」
というような事です。

ここまで考えると、「病院に行く事はできない」と強く思っていることに気がつきます。
普通の人ならば当たり前にできることを、できないと思うのです。
家族に付きそってもらったら行けるだろうかとも考えてみます。
それもできないと思うのです。
家族に付きそってもらっても、途中で気分が悪くなり一緒に帰って来たことがあります。
家族に迷惑をかけてしまい、とても嫌な気持ちになったことがあるからそう思うのです。

では、顔を洗ったり身じたくをして、服を着がえることだけでもできないかと考えてみます。
それもできないと思うのです。
顔を洗ったり、歯をみがいたり、ひげを剃っている間に、いつも過去のいやな思い出がわーーっと押しよせて来るのです。
病院に行く途中で死ぬほど苦しかったこと、
苦しんだのに結局いけなくて、苦しみが無駄になったこと、
その他の嫌な思い出が押し寄せてきます。
途中で、病院に向かってもう一歩歩こうと思うけれども、一歩も進めない。
じゃあ引き返そうと思うけれども、引き返す力もない。
立って止まっている体力もない。
目も開いていられないほど苦しい。
進むこともできず、退(ひ)くできず、その場にいることもできない。
まさに無間地獄(むげんじごく)です。
結局、目をほとんど開けていられないまま引き返して、傷だらけになったことがあります。

そんな思い出が押しよせてくるのです。
洗面台に向かって行ったほうがいいか、行かないほうがいいか、悩みます。
考える能力もなくなっているのに、悩みこんでしまいます。
そうして、その場にしゃがみこんでしまいます。
なんとかその場はしのいでも、
家を出る直前に、玄関のドアの前で限界がきて、倒れてしまったことがあります。

外出するまでには、やらなければならないことがたくさんあります。
とてもそれらのことをやり切ることはできないと思うのです。
あれもできない、これもできないと思ってしまう。
そういう時の心を観察していると、目の前にある靴下もはけないと思っていることに気づきます。
目の前の靴下がはけないと思うのです。
前に靴下をはいた時、しまう気力がなくて布団(ふとん)のすぐ横にある靴下がはけないと思うのです。
こういう状態は、精神病者的思考法に陥(おちい)っている状態かもしれません。

確かに、顔を洗ったり、ヒゲをそったり、着がえたりして外出するのは、うつ病の人にとっては大変なことです。
健康な人にはわかりません。
健康な人からは、なぜそんな当たり前なことができないのかと思われるでしょう。
そんなことができないなんて常識外れだ。さぼってるんじゃないか?
なまけてるんじゃないか?甘えてるんじゃないか?何かの嫌がらせをしてるのか?と思われるでしょう。

でも、うつ病の人にはそんなつもりは全くないのです。
それにしても、「目の前の靴下がはけないと思うのは、やはりおかしいのではないか?」
とある時、気がつきました。
たしかに1m先にあるものは、1km先に感じてしまう。
けれども、布団(ふとん)に寝転がったまま、手をのばせば届くところにある靴下がはけないというのはおかしな話です。
それは、あまりに非常識で、不合理な考えです。
精神病者的思考法という、非論理的でありえないことを正しいと思い込む思考法におちいってしまっているのかも知れません。
そんな思考法に、はまってしまっていたら大変です。
このことに気がついたら、誰だって、「やっぱり靴下は、はける」と思いたくなるでしょう。
でも、その考えに自信が持てません。
こんな時は、すぐに靴下をはいて見て、「自分の考えはまちがっていない」ことを試してみたいと、誰でも思うでしょう。
そうして、靴下をはいてみるとやっぱりはけるのです。
それが常識で、はけないということが非論理的なのです。
それで、今僕はありえない事はありえないと思えて、実際に存在しないことは存在しないと思える健常な思考ができることが確認できるのです。

そうしたら、洗面台に向かって一歩歩き出すことができるかと考えてみます。
できないと思います。
でも、その考えは間違っているかも知れません。
病院に行くために歩かなければならないと思うと歩けないのです。
一歩歩けるかどうか試して見たいから、僕はやってみたいから歩いてみたいと思えば歩けるのです。
もう一歩試してみよう。もう一歩、もう一歩。と、やっていると洗面所についてしまいます。
せっかくここまで来たんだから、病院に行こうと思います。
そうして、ヒゲを剃っていると、
「まだまだ家を出るまでにはものすごくたくさんのことをしなければならない。
 服は何を着て行けばいいんだろう。
 へんな格好をして行って、病院で友達に偶然会ったら、なんか嫌なことをいわれるんじゃないだろうか?
 服を選んだり、ものすごく苦しい思いをして家を出ても、病院に着くまでにもたくさん苦しいことがある。
 前にあんなこともあったなぁ、こんなこともあったなぁ。
 病院に着いたとしても医者に何て話せばいいだろう?
 何て話せば分かってもらえるんだろう?
 前に全然分かってもらえなかったことがあったなぁ。
 久しぶりに外出するのだから、病院の帰りにあれを買っとかないといけないなぁ。
 これもしとかないといけないなぁ。
 今度いつ外出できるのか分からないんだから、絶対やらないといけないなぁ。
 ああ、でもできるかなぁ?できないだろうなぁ」等々のことが自然に頭に浮かんで来ます。
そうすると、死にたくなるほど気分が悪くなって、布団にもどって寝込んでしまうのです。
このような考えは、その日その日によって違いはありますが、一つのパターンがあります。
それはまず、現在よりも未来のことを考えているということです。
未来のこと予測しようとしているのです。
そのために過去のいやな思い出や失敗を思い出して、
そのことから未来を予測して「あんないやなことが起こるだろう、こんな悪いことも起こるだろう」と不安になり、心配しているのです。
過去と未来ばかり考えて現在を考えていないのです。

服について、友人に嫌なことを言われたことは、過去に一回しかありません。
そういうことは、友人がよほど機嫌が悪い時でなければないことです。
それは、認知行動療法(注1)の中で取り上げられる自動思考の一種で「過剰な一般化」と言う現象が起こっているのです。
友人の機嫌がそんなに悪い時は、どんな服を着ていっても何か言われるでしょうから、どの服を着るか迷うのは無駄です。
医者に話すことは診察の5分前に考えれば充分間に合うのです。
どうしても間に合わないと思うときは、病院についてから、紙に書きながら考えれば間に合います。
そんなことを今から診察まで考えていたら疲れてしまいます。
そんな能力は今はありません。
ないのに無理をするのが一番いけないのです。

とにかく、外出できない時はつらい過去から暗い未来を予測しているのです。
洗面台の前で外出の用意をしていると、いやな思い出がたくさん押し寄せてきます。
今日の事とはまるで関係がない、いやな思い出を思い出すこともあるでしょう。
過去のいやな思い出を思い出すのは、それに似たことがまた未来にもう一度あると思っているからです。
「今度はこうしよう」と未来にそなえるために思い出しているのです。
そんなことよりも、大切なのは現在、今この時なんです。
今そんな先のことを考えてる場合でしょうか?
そんなことを考えて、布団に逆もどりすることは自分にとって有利なことでしょうか、損なことでしょうか?
もちろん、そんなことを考えるのは損だから、やめた方がいいのです。

例えば今、自分はヒゲが剃りたいと思っているとします。
その理由は久しぶりだからです。
今ここのヒゲが剃りたいと思っている。だから剃る。
それだけを考えるのです。
そうしたらヒゲなんてあっという間に剃れてしまいます。
つぎは顔が洗いたい。
シェービングフォーム(ヒゲ剃りクリーム)を洗い流したいから。
このままでは不快だから。
洗い流せば快感が得られるから。
だから洗う。
そういうふうに今、現在に集中すれば簡単に外出できるし、外でしたいことをして楽しく帰って来れます。

「僕は今、この歯がみがきたい。
いや、みがけないんじゃないだろうか?
いやいや!僕は絶対にみがける。僕はできるんだ!
うそだと思うのなら、証拠をみせてやる!
ほーら!みがけたじゃないか」
こういうふうに考えながら、一つ一つの“今の”ことに集中すればできないことはないですし、
失ってしまっている自信を取り戻すきっかけにもなります。

これは、08年11月24日から書いている「過去を思い出して心を痛めてはいけない。今が大事。先を楽しみにしよう」(詳しくはここをクリック)ということです。
もちろん何でもやればできると言っているわけではないです。
自分の体と心が快感を感じられるからやりたいと思い、だからやるのです。
他人のためにやるのではなく、やらなければ他人に悪いと脳が判断するからやるのではなく、自分の心と体のためにやるのです。
そういう所からやっていかないと、うつ病は治らないと思うのです。

ここで言う脳とは、頭蓋骨(ずがいこつ)の中にあって記憶・計算・比較・分析・推測・計画・論理思考などの情報処理をする部分です。
心とは、その一部は頭蓋骨のなかにありますが、脳とは別の場所にあり、
潜在意識(精神医学用語で無意識と呼ばれるもの)を含み、全体無意識(精神医学用語で集合的無意識と呼ばれるもの)とつながっている部分です。
うつ病を治すには、脳と心を別のものと考えなければならないという学説が精神科医の間で広まってきています。
そのような説についても、いずれ紹介したいと思います。

ちょっと余談ですが、最近Internet Explorer8をインストールしました。
その時にyahoo辞書をアクセレーターに追加すると、読めない漢字があっても、そこをドラッグしてクリックするだけで、読みと意味が分かるようになりました。
今までは読めない漢字があると、そこをドラッグして、CtrlキーとCを押してコピーして、yahooのトップページの検索窓にCtrlキーとVで貼り付けて、辞書をクリックしていたのですが、とても便利になりました。

(注1)認知行動療法については、またゆっくり書きたいのですが、とりあえず知りたい方は、http://hikumano.umin.ac.jp/cbt_text.html等に書いてあります。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年7月 »